2018.3.24

こんばんは。

 

今日は、新宿で行われた「こわれものの祭典」に行ってきました。

最近は、「何か用事がないと外に出るのが怖い」というような想いがあって、遠くにも行けないし、行くところも近所のミスタードーナツだったりで、動きが停滞していたので行けて良かった。

地下二階で行われた催しは、思っていたよりは明るい印象だった。成宮さんの詩の朗読は、言葉はその場限りで時間が経てば無くなってしまうけど、とても力強かった。自然と涙が出た。

月乃光司さんは、御自身が一番引きこもっていた時期(表現が正しいか分からないので、あやふやですが)に着ていたパジャマ姿で来ている、という話や、嫌だった過去のことは忘れた方がいい、という人もいるけど、僕はそうは思わないな、ということを話していて、無理やりにも、忘れよう、忘れようとしなくていいのだと伝わった。

今は、先が本当に見えない状態に居るのだと私は実感している。同世代の人達が、当たり前のようにやっている人間関係や、生活習慣だったり、普通とは違う道を歩んでいるのだと改めて感じる。 それが、この長期休暇中にとても身に染みたし、「人生に大逆転はない」と、今日のトークイベントでも話されていたけど、本当にそうだと思う。

それでも、生活は続いてしまうし、布団に入り、まぶたが沈んできて、夜に包まれて目が覚めたら、朝が来てしまう。今は、朝が来るのがすごく不安で、漫画サイトだったり、不安感を煽るようなキーワードを検索して、同じように孤独感や寂しさの相談をされているサイトを見たりして、眠気がくるまで過ごしている。

今の私には、そんなことしか出来ない。その場その場で、なんとなく生きてしまっていたから、現状のように道が急激に狭まってしまった時、どのような心の持ちようだったりとか、発散方を学ばないまま生きてきてしまった。

でも、今日の「こわれものの祭典」で思ったことは、人が今ここに、この場所で生きているんだな、と思った。その場所ですれ違った人や、私の前にいた男性だったり、お酒を注文している人や、自身の体験談を話されていた人、知人や友人らしき人達と来ている人、みんなその場で生きているのだと。

私も、その場に居れて、名前も、どのような人なのかも知らないけれど、場を共有できたことがとても嬉しく感じた。

また、今日という日が終わって、明日がきて、私の人生は変わることなく進み、言葉に残す気力もないくらい沈むことがあると思う。

けど、少しでも言葉に残したい、と感じたらこれからはどんなに惨めな感情でも、書き記すことが、今できる自分自身の生きた日々だと思う。